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歌の玉手箱ー続・歌の栞

続・歌の栞163 四月例会 (その二)

 特集・春爛漫 春の唄 みどりのそよ風 


前回の四月例会(その一)では、いずれも桜を主題とした歌を紹介しましたが、今回は 昭和の戦中戦後を生きてきた日本人にとって、馴染み深い二曲を紹介します。
【春の唄】 作詞・喜志邦三 作曲・内田 元
ラララ赤い花束 車に積んで 
春が来た来た 丘から町へ
すみれ買いましょ あの花売りの 
かわい瞳に 春のゆめ
ラララ青い野菜も 市場について
春が来た来た 村から町へ
 朝の買い物あの新妻も 
かごにあふれた春の色 (三節・四節 省略)
(国民歌謡・昭和十二年)

ラジオ放送で国民に親しまれた国民歌謡は、格調の高い健全な歌を目指して昭和十一年六月から始まりました。当初の名歌は、「椰子の實」(島崎藤村作詞・大中寅二作曲)で、東海林太郎が歌い、たちまち大人気となりました。続いて昭和十二年三月に 「春の唄」が、月村光子の歌で放送され春のテーマソングとして庶民に愛唱されました。
しかし、昭和十ニ年九月に内閣情報局が発足すると、時局に迎合する歌が増加し 「海行かば」「愛国行進曲」「紀元二千六百年」など軍国調の歌が多くなり、 「春の唄」のような春爛漫をこぞって楽しめる曲は敬遠されていきました。
昭和十二年後半から終戦の年までに誕生した歌で戦後も広く歌われている曲は少なく、唱歌の分野では、 「野菊」と「わかば」(いずれも昭和十七年)の二曲ぐらいでしょうか。
 終戦により時代は変わり、国民が自由と平和を謳歌できるようになり、そこで誕生した歌は数多くあります。
童謡では「みかんの花咲く丘」「里の秋」そして、次の「みどりのそよ風」等がその代表的な曲でした。
【みどりのそよ風】作詞・清水かつら 作曲・草川 信
みどりのそよ風いい日だね 
蝶蝶もひらひら豆のはな
七色畑に妹の
つまみ菜摘む手がかわいいな
みどりのそよ風いい日だね 
ぶらんこゆりましょ歌いましょ
巣箱の丸窓ねんねどり 
ときどきおつむがのぞいてる (三節〜五節 省略)
(ラジオ歌謡・昭和二一年)


 童謡詩人  清水かつらは、大正時代に誕生した童謡の作詞家として大きな業績がありました。作曲家の 弘田龍太郎とのコンビによる 「靴が鳴る」「叱られて」「雀の学校」等が有名曲でした。彼は戦争中は活躍の場から遠ざかっていましたが、戦後はこの 「みどりのそよ風」で、新時代を象徴するような明るい曲を同輩の  草川信とのコンビで誕生させました。
 この歌は、廃墟の中の当時の私達国民にとってどれだけ心をなごませてくれたことでしょうか。
平成二十四年四月二十七日









続・歌の栞162 四月例会 (その一)

 特集・春爛漫 さくら 絵日傘 


例会日の四月八日は、好天に恵まれお花見日和でした。
会場の四街道市わらび小学校の桜も、私達の開催日に合わせてほぼ満開となり最高の舞台が整っていました。 
さて、今回の特集は、 春爛漫 で、次のような百花の曲を中心に楽しみました。
春が来た チューリップ みつばちぶんぶん
春の小川 さくら 春の唄 春のうた(野口雨情作詞)
絵日傘 花かげ みどりのそよ風 花(春のうららの)
花(すべての人の心に花を) この広い野原いっぱい

日本では、お花見と言えば、桜が定番になっていますが、諸外国では想像できないまでに、鑑賞目的に改良された見事な品種・染井吉野等が日本全国でその覇を競っています。
日本人は、平安以前の時代から梅や桜を鑑賞し、その美しさを和歌や詩に詠んできました。そのような背景から花を愛でる感性が育まれ、桜を主題にした歌も数多く誕生しています。今回は次のような桜にちなんだ曲を歌いました。
【さくら】 明治二一年(東京音楽学校の「箏曲集」)
さくら さくら  やよいの空は
見わたす限り  かすみか雲か 匂いぞ出ずる  
いざや いざや 見にゆかん
【さくら】 昭和十六年「うたのほん 下」
さくら さくら  野山も里も
見わたす限り  かすみか雲か  朝日ににおう
さくら さくら  花ざかり

この「さくら」は、幕末、江戸で子供用の箏の手ほどき曲
として作られたものと伝わっていますが、伝統的な日本の歌として今でも国際的なイベント等で歌われています。
【花かげ】作詞・大村主計 作曲・豊田義一
十五夜お月さまひとりぼち 桜吹雪の花かげに
花嫁すがたのお姉さま 車にゆられて ゆきました
十五夜お月さま見てたでしょう 桜吹雪の花かげに
花嫁すがたの姉さまと お別れおしんで泣きました
十五夜お月さま一人ぼち 桜吹雪の花かげに
遠いお里のお姉さま 私は一人に なりました(昭和六年)

この歌の作詞者・大村主計の菩提寺は山梨県塩山の向岳寺
で当時は桜の名所でした。彼が脳裏に焼き付けていた青春の追憶がこの「花かげ」でした。
この曲にあるお月さまと桜吹雪は、さまざまなことを思い起こさせる象徴的な自然の恵みではないかと感じます。
芭蕉には次の桜の句があります。
さまざまなこと思い出す桜かな

 私のお花見は、毎年恒例のように地下鉄の九段下を起点として田安門から千鳥が渕の花吹雪を夫の案内で巡ることにしています。今年も、ダルビッシュ初登板の四月十日に出かけました。そして、平成七年メジャーに挑戦した、野茂投手のトルネード投法を現地で観戦した様子や、その翌年の田安門でのトルネードの花吹雪を二人で語り合いました。
  花吹雪 田安門前 トルネード 
                                    野茂の躍動 思い出ずる日  双葉

平成二十四年四月二十七日




続・歌の栞161 三月例会 (その二)

特集・別れ   蛍の光 仰げば尊し 故郷



卒業式シーズン、三月例会の特集は、別れ でした。 
小、中、高校などの卒業式で歌われる曲は、現在では定番がなくなっていますが、昭和三十年代頃までは、「 蛍の光」と「 仰げば尊し」の二曲でした。
なお、幼稚園の卒園式では昭和五十年代から長期にわたり「思い出のアルバム」が定番でした。
この例会の会員の皆さんに卒業式関連の希望曲を募ってみましたが、やはりこれらの三曲でした。
【仰げば尊し】文部省唱歌 作曲者・米国人)
仰げば尊し我が師の恩 教の庭にもはや幾年
思えばいと疾しこの年月 今こそ別れめいざさらば
互に睦し日ごろの恩 別るる後にもやよ忘るな
身を立て名をあげやよ励めよ 今こそ別れめいざさらば
朝夕馴にし学びの窓 蛍の灯火積む白雪
忘るる間ぞなきゆく年月 今こそ別れめいざさらば    
                               ;                   明治十七年

私の卒業式の記憶は、この曲を歌い始めると担任の先生方のお世話してくれた様子が走馬灯のように駆け巡り、涙を流しました。今でもこの曲は起立して歌う習わしです。
しかし、残念なことに歌詞が文語であるため、分かりにくいという理由からか、卒業式で歌われることは少なくなり、近年は、「 旅立ちの日に」「 贈る言葉」「 さくら 」(森山直太朗の曲)等が歌われているようです。そのためこれらの曲を、孫達と一緒に歌えるようにこの会でも練習しています。

先に紹介しました曲の他に、次の曲を歌いました。
故郷を離るる歌  別れ  惜別
瀬戸の花嫁  贈る言葉  高校三年生
故郷

最後に歌った「 故郷」は、 故郷を離るる歌 でもあり、作詞者の 高野辰之が出身地・信州の山河や父母友垣との別れやなごりが美しく、最終曲として皆さんと歌って散会しました。
【故郷】作詞・高野辰之 作曲・岡野貞一
兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷
如何にいます父母 つつがなしや友がき
雨に風につけても 思い出ずる故郷
志をはたして いつの日にか帰らん
山は青き故郷 水は清き故郷  


次の短歌は、夫の宮本双葉が故郷にちなんで掲載してくれました。
故郷あり
 (文芸春秋四月号短歌七首から抜粋)
年々の別れありそしてなごりあり 
                           沈丁花 駅に香り始める
やはり桜の下で飲もうか 輪になれば
                          亡き友垣もきっとくるはず
                          三枝昂之
(山梨県出身の歌人)

平成二十四年三月十八日









続・歌の栞160 三月例会 (その一)

 どこかで春が 春よ来い うれしいひなまつり 


三月例会日の十一日(日曜)は、丁度東日本大震災の一周年でした。
昨年の震災直後の四月開催から毎回、大震災の犠牲となった多くの方々の慰霊と、家族や住家をなくされた方々のことを常に念頭にしてこの会を実施してまいりました。
特に今回は、参会者一同で大震災で亡くなられた方々の御霊に黙祷をした後、北国の春が一日も早く来るように次の曲を歌いました。     
【どこかで春が】作詞・百田宗治 作曲・草川信
どこかで春が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかで雲雀が 鳴いている
どこかで芽の出る 音がする
山の三月 そよ風吹いて
どこかで春が 生まれてる 大正十二年

「どこかで春が」という言い方に着目するように話しました。
 目に見えるところだけでなく、私達の心的世界などにも。
関東地方では既に春のきざしは感じられるようになりましたが、今年の春の到来は遅いようです。とりわけ雪国の人々にとっては、山野が芽吹き花が咲き、小鳥がさえずる春爛漫の日を待ちわびていることと思います。
【春よ来い】作詞・相馬御風 作曲・弘田龍太郎
春よ来い 早く来い あるきはじた みいちゃんが
赤い鼻緒のじょじょはいて おんもへ出たいと待っている
うれしいひなまつり】作詞・ハチロー 作曲・河村光陽
あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓 今日はたのしいひな祭り
お内裏様と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした ねえさまに よく似た官女の白い顔
金のびょうぶに うつる灯を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか  赤いお顔の 右大臣


私が二人の娘を育てたのは昭和四十年代、青森県下北半島の大湊でこの歌にあるお内裏様とお雛様の七段セットを雪がちらつく二月に買い求めて、お祝いしました。
それ以来、夫の米国勤務中もお雛様を持参して、娘達がお嫁に行っても飾り続けていましたが、孫娘達も大きくなってしまい、数年前から飾ることを止めていました。
しかし、今春は房総勝浦のお雛祭りを見物することにしたことが契機となり、我が家の雛祭りは復活しました。
 そして、例会会場にお内裏様と、南房総から摘んできたポピーやストックを飾り 皆さんとこの曲を楽しみました。

着物をきかえて 帯しめて今日はわたしも はれ姿
  春のやよいのこのよき日 なによりうれしいひな祭り  
     (第四節)  昭和十二年


平成二十四年三月十八日














続・歌の栞159 二月例会 特集・雪

その二 童謡・ペチカ 青い小鳥 


前回に引き続き四街道童謡叙情歌を歌う会、二月例会の模様を紹介します。
童謡部門では、次に掲載するペチカと青い小鳥を選曲しました。いずれの曲も山田耕筰(以下耕筰)が作曲しました。
耕筰は、滝廉太郎の約十年後輩で東京芸術大の声楽科を卒業し、滝廉太郎と同様、ドイツに留学し作曲の勉強をしています。耕筰の功績は、歌曲、童謡、オペラ、交響曲、学校校歌等前人未到の活躍でした。
歌曲では、からたちの花 この道 かやの木山の 等があり、童謡では、赤とんぼ 砂山 ペチカ 待ちぼうけ 等の愛唱歌が数多くあります。なお、これらの曲の作詞は童謡の 赤とんぼの三木露風を除きすべて北原白秋でした。
  【ペチカ】 作詞・北原白秋 作曲・山田耕筰
雪のふる夜はたのしいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ  
むかしむかしよ 燃えろよペチカ
雪のふる夜はたのしいペチカ
ペチカ燃えろよ おもては寒い
栗や栗やと 呼びますペチカ
雪のふる夜はたのしいペチカ
ペチカ燃えろよ じき春来ます
いまに楊も 萌えましょペチカ


 ペチカはロシアで使用された暖炉の一種です。耕筰は白秋と共に満州を旅行し、この歌や待ちぼうけを誕生させました。
【青い小鳥】 作詞・川路柳虹 作曲・山田耕筰       
青い小鳥はどこへゆく、
青い小鳥はとんでゆく。    
小鳥のいない籠を手に、    
チルチル ミチル どこへ行く。
おもひでの国 夜の国、
そとは小雪もふりしきる。
花の匂ひのする窓で、
青い小鳥はないていよう。


「青い鳥」とチルチルとミチル(兄妹)のお話は、ベルギー
の作家メーテルリンクの戯曲(演劇の脚本)です。
青い鳥を捕まえれば豊かで幸せになれると聞いた兄妹は、
青い鳥を探すために旅に出かけます。その様子については、川路柳虹の作詞を今一度朗読してみてください。句読点を入れましたが、四個のフレーズに分かれています。
 私は、青い小鳥のその青色は、沖縄の島唄・芭蕉布の海の青さに空の青に想いをめぐらせてみましたが、皆さんはどの
ような青色がこの曲にふさわしいと思われますか。
なお、青には 水色、紺色、群青色、青緑などあります。
 この曲は、作詞・作曲共にすぐれた作品であり、皆さんに
是非紹介したいと考え、私の独唱で披露しました。
幸せとは、遠くにあるものでなく自分の心にあるものだ
と言うことは、現在に生きる大人にも子供にも理解してもらいたいと・・・・・。

 平成二十四年二月二十三日